四竈考
未明の地震のニュースを見ていて、「色麻町四竈」という住所を発見。
「しかまちょうしかま」と読むそう。
当初、「四竈」に「色麻」という字を当てたのかと考えたが、町名の由来については、
天平年間(729~749)に播磨国(兵庫県)飾磨から移住した兵士が「しかま」を色麻と記したことに由来すると伝えられる。
https://kotobank.jp/word/色麻%28町%29-1541593
ということらしい。
しかしこの説明であれば、「しかま」という名前が先にあった、とも読める。
四竈、と聞いて最初に思い浮かべるのは、もちろん御釜神社だ。
御釜神社の由緒書きから必要なところを抜粋すると、
実はこのように、色麻町については言及されていない。
でも、数は「四」。
『別当法蓮寺記』では、往古は7口の竈が存在したと伝える。それによれば、「赤眉」という者が3口を盗んだが、神の怒りにあって遠くに持ち去ることができなかった。
そのため3口は、当地の野田、松島湾の海中、加美郡四釜にそれぞれ1口ずつ残されたという。
最後の1口は加美郡四釜(現在の宮城県加美郡色麻町)にあるという。同地は昔、坂上田村麻呂が東征の際に鹽竈神社を勧請し、戦勝の神徳を崇めた地でもあるとする。
昔あった竈の数には異説があり、『鹽社由来追考』では鹽竈神社14末社と同じ数の14口があったとする説、『奥羽観蹟聞老志』では6口あったとする説を紹介する。
御釜神社が採用しているものとは、どうやら異なる説があるということらしい。
色麻町にも塩釜神社があるのか?と調べてみると、伊達(いだて)神社に当たる。
この伊達神社、江戸時代は「香取神社塩釜神社」と称していたとのこと。
http://www.geocities.jp/engisiki/mutu/bun/mut280701-01.html
ここでは、
「俗に塩釜神社とするは地名四釜から訛つたものである」
この「塩釜神社」の由来について述べられているが、「四釜」が先だということがわかる。
かつて塩釜神社だったこの伊達神社は、鹿島神社(ただし、こちらも鹽竈神社からの勧請とのこと)・宇伎須神社と合わせて「色麻古社三社」と呼ばれている。
http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1060718866.html
これらは、東国三社を模したもの。
わたし自身も、熊本地震の翌日、鹽竈神社以外の鹿島神社に相当するところを探した結果、こちらを見つけ、参拝したことがある。
鹽竈神社の御祭神も、
現在は鹽土老翁神、武甕槌神、経津主神とされているが、
併設の博物館には、「鹽土老翁神」の位置に「岐神」と書かれた資料が存在していた。
(何に書かれていたのかは失念)
四竈、色麻。
ここには何があるのだろう。
また鹽竈神社史などを調べてみたいと思う。