「水五訓」と「水六訓」
貴船神社境内や、由緒書き「氣生根略記」にも掲げられている「格言水五題」。
何か謂れがあるものだろうかと調べてみると、そもそもは「水五訓」の名で黒田官兵衛が残したものらしい。
何度か名を改め、彼自身が最後には「如水」となったことは、よく知られていることと思う。
「格言水五題」こと「水五訓」は以下のとおり(順番は諸説あるため、「氣生根略記」に従った)。
一、自ら活動して他を働かしむるは水なり
二、常に自ら進路を求めて止まざるは水なり
三、自ら清くして他の汚水を洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり
四、障害に逢い激しくその勢力を百倍するは水なり
五、洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり雪と変し霰と化し凝っては玲瓏たる鏡となる、而もその性を失わざるは水なり
不思議と、その時々によって目に留まるものが違う。
「氣生根略記」にはその他に「水六訓」も載せられているのだが、 実はこれを別の場所でも見ている。
伏見稲荷大社のほど近くにある、藤森神社だ(両社には縁があるのだが、それについてはここでは置いておく)。
「氣生根略記」よりも詳しい、藤森神社に掲出されている「水六訓」は以下のとおり。
一、水は尊し
水無くんば成らず育たず
心ある者その加減を知り水を大切にせよ
二、水は美し
冷熱に応じて
虹と化して氷と変り水晶となる
三、水は清し
常に味いて飽きず
汚穢を洗い清める
四、水は強し
いかなる障害にも屈せず
自ら進みて天を成し地を動かす
五、水は恐し
人を呑み船を覆し山野を汲して
地表をも変貌す
六、水は深し
その源神に発し
大自然の道を示し波瀾曲折の人生を思わしむ
夏は、水の摂取を強く意識する季節であり、
梅雨とはまた違ったかたちで降る雨が気にかかる季節。
体内外の水について思いを致すことの多い時期、
「水」を見つめなおしてみるのも良いのではないだろうか。