Navigare necesse est.

祈り、道標となるもの

瀧原宮(三重・2017)

 2017年に瀧原宮瀧原竝宮を参拝した時の記録。

 Tumblrより。

 

 瀧原宮(たきはらのみや)。

 伊勢の内宮の「別宮」にあたります。
 外宮や内宮から離れた場所(度会郡)にあるので、人もあまりおらず、静謐な雰囲気が保たれていました。

 内宮における五十鈴川と同じように境内の中を川が流れ、そこで清めてから参拝することができます。

 

 境内には4つの社があり、看板に参拝順序が書いてありますが、
神職の方に尋ねてみたら、
「順序を尋ねる方があるので」ということで、こうしなければならない訳ではないそうです。
(実際お正月などは混雑するので、「左から順番に」と変更されたりするとのこと)

とは言え、(それを尋ねたのは参拝後だったこともありますが)今回は「順番通り」に参拝をしました。

 

 瀧原宮、そして瀧原竝宮(たきはらならびのみや)へ。
 瀧原宮天照大御神の和魂、瀧原竝宮が荒魂をお祀りされているとのこと。

 この日また国の鎮護を強くお願いしなければならない事態が発生していたため、特に瀧原竝宮前で長く拝むことになりました。

 

 そして、これは内宮の神様含めこの旅で何度もお伺いすることになったのですが、

解いてこそである、と。

 片付いていないテーブルの上に、きれいな食器を載せようと思っても、無駄なこと。
 テーブルの上のゴミを、汚れた食器を取り払ってから、食卓の上を美しく飾ることを始めなければならない。

 多くの因縁を、根の根まで解いてから、新たに結んでいかなれけばならない。

 解かれることを、願っていくこと。

 中途半端な「結び」より、しっかり解いて結びなおした縁は強固であるから。

 

 美しい瀧原宮
 また訪れたい場所です。

 

f:id:akamitori0616:20180922104441j:image
f:id:akamitori0616:20180922104445j:image
f:id:akamitori0616:20180922104449j:image
f:id:akamitori0616:20180922104437j:image
f:id:akamitori0616:20180922104453j:image

山神社(宮城)

 富士山本宮浅間大社について書いたので、コノハナサクヤヒメさまがご祭神のお社の中で、1番拝んできた山神社(やまのかみしゃ。小牛田山神社とも)について。

(2日連続、宮城についての記事になったのは偶然)

 

 あまり大阪でお祀りされているのをお見かけしない気がするのですが、

 元々山神社の神様は、

崇徳天皇の御代である永治元年(1141年)、摂津国の住人で、現宮司家の祖先である小山田清寧が家の守り神として勧請したのが始まりだと伝えられている。その後、清寧の後裔である浄円が元亀2年(1571年)に神璽(神体)を奉じて、陸奥国遠田郡小牛田旧屋敷にやってきて移り住み、天正3年(1575年)には祠を建てて神体を鎮め祀ったという。

ことで、大阪からいらっしゃっています。

(此花区の「このはな」は、王仁の歌に由来しますが、山神社の神職の方は、もしかしたらこの辺りから移ってこられたのでは、とおっしゃっていました。

合わせて、浅間大社からの勧請ではない旨も教えていただきました)

 

 書きながら思い出したのは、

 宮城へ初めて来た時、そしてそれからしばらく、

 登米へと向かう乗り換えの駅だったのは、この小牛田。

 もちろん最初は「こごた」と読むことはできませんでしたが。

 そうして最初から小牛田に縁があり、何度この拝殿の中で拝ませていただいたでしょうか。

 

 山神社は「子授け・安産・子育て」のご神徳が有名で、近隣他県からも参拝に来られると聞いています。

 また、宮城の方々の神社で「山神社」と刻まれた石を目にしています。

(もちろん、小牛田でない「山神社」のものもあるかもしれません。

しかし遠く離れた蔵王町刈田嶺神社にて、「小牛田山神社」ときちんと看板を掲げ、お祀りされていました)

 連綿と続く、山神社への信仰の篤さを感じました。

 

 これまで、山神社へはバスか徒歩で参拝していたのですが、

 最近になって小牛田駅で自転車を借りられることに気づきました。

 時間を気にせずゆっくり参拝したい方におすすめです(定休日があるようなので、事前にご確認ください)。

 

f:id:akamitori0616:20180920231543j:image
f:id:akamitori0616:20180920225054j:image
f:id:akamitori0616:20180920225051j:image

(以上、山神社)

 


f:id:akamitori0616:20180920224714j:image

(蔵王町刈田嶺神社にて)

 

四竈考

f:id:akamitori0616:20180919203244j:image

 

未明の地震のニュースを見ていて、「色麻町四竈」という住所を発見。
「しかまちょうしかま」と読むそう。

 

当初、「四竈」に「色麻」という字を当てたのかと考えたが、町名の由来については、

天平年間(729~749)に播磨国兵庫県)飾磨から移住した兵士が「しかま」を色麻と記したことに由来すると伝えられる。

https://kotobank.jp/word/色麻%28町%29-1541593

ということらしい。

 しかしこの説明であれば、「しかま」という名前が先にあった、とも読める。

 

 四竈、と聞いて最初に思い浮かべるのは、もちろん御釜神社だ。

 御釜神社の由緒書きから必要なところを抜粋すると、

 

f:id:akamitori0616:20180919204609j:image

 実はこのように、色麻町については言及されていない。

でも、数は「四」。

 

 次に、御釜神社のWikipediaから引用してみる。

 

別当法蓮寺記』では、往古は7口の竈が存在したと伝える。それによれば、「赤眉」という者が3口を盗んだが、神の怒りにあって遠くに持ち去ることができなかった。
そのため3口は、当地の野田、松島湾の海中、加美郡四釜にそれぞれ1口ずつ残されたという。

最後の1口は加美郡四釜(現在の宮城県加美郡色麻町)にあるという。同地は昔、坂上田村麻呂が東征の際に鹽竈神社を勧請し、戦勝の神徳を崇めた地でもあるとする。

昔あった竈の数には異説があり、『鹽社由来追考』では鹽竈神社14末社と同じ数の14口があったとする説、『奥羽観蹟聞老志』では6口あったとする説を紹介する。

 

 御釜神社が採用しているものとは、どうやら異なる説があるということらしい。

 色麻町にも塩釜神社があるのか?と調べてみると、伊達(いだて)神社に当たる。

 この伊達神社、江戸時代は「香取神社塩釜神社」と称していたとのこと。

http://www.geocities.jp/engisiki/mutu/bun/mut280701-01.html

 

 ここでは、

「俗に塩釜神社とするは地名四釜から訛つたものである」

この「塩釜神社」の由来について述べられているが、「四釜」が先だということがわかる。

 

 かつて塩釜神社だったこの伊達神社は、鹿島神社(ただし、こちらも鹽竈神社からの勧請とのこと)・宇伎須神社と合わせて「色麻古社三社」と呼ばれている。
http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1060718866.html

 

 これらは、東国三社を模したもの。

 わたし自身も、熊本地震の翌日、鹽竈神社以外の鹿島神社に相当するところを探した結果、こちらを見つけ、参拝したことがある。

 

 鹽竈神社の御祭神も、
 現在は鹽土老翁神、武甕槌神経津主神とされているが、

 併設の博物館には、「鹽土老翁神」の位置に「岐神」と書かれた資料が存在していた。
(何に書かれていたのかは失念)

 

 四竈、色麻。

 ここには何があるのだろう。

 

 また鹽竈神社史などを調べてみたいと思う。

 

 

富士山本宮浅間大社(静岡)

 2年ぶり2度目の参拝。

f:id:akamitori0616:20180916201616j:imagef:id:akamitori0616:20180916201636j:image
f:id:akamitori0616:20180916201638j:image

 

 お天気のせいか、時間のせいか、人がまばらで。

 ゆっくり拝ませていただくことができました。

 

 全国に1300ほどある浅間神社の総本社である、富士山本宮浅間大社

 ここへまた来させていただけたことは、あまりにも幸福なことで。

 神様とのご縁、人様とのご縁があってこそ叶った参拝でした。


f:id:akamitori0616:20180916201633j:image
f:id:akamitori0616:20180916201641j:image

 

 厳島神社の前で、一層感謝の念がこみ上げ。

 幸せな幸せな時間を過ごさせていただきました。

 

 また必ず。

 

 本当に、ありがとうございました。

「自分」の範囲

 何事もそうですが、

 自分事として捉える、ということについても、良い面とそうではない面があります。

 

 例えば、遠く離れた場所に住まう人々の悲しみや不自由に寄り添うこと。

 それらは集まって大きな力となり、接点のなかったはずの人々を救うこともあります。

 

 一方で、

 家族、恋人、友人、同僚などの身近な、けれど自分とは別の人間、

 つまりは「他人」の問題を、自分事として捉えすぎて、苦しんではいないでしょうか。

 

 自分の問題でないものを、まるで自分の問題のように捉えてしまう癖を除いていくと、

 時間ができてきます。

 いかに、「他人」の問題に日々追われていたかと、驚くことでしょう。

 

 そして時間ができれば、自分の問題と向き合うことができ、

 自分の人生を豊かにしていけるのです。

 

 「自分」の範囲を、しっかりと区切っていくこと。

 それは裏を返せば、「他人」を尊重することでもあります。

 

 ひとりひとりが「自分」を幸せにして、それを何倍もにしていくために、手を取り合う世界でありますように。

 

f:id:akamitori0616:20180918005020j:image

日本の食卓と神様

 先日、念願叶って、土井善晴先生のお話を聴く機会に恵まれました。

 もともと、お話を伺ってみたいという気持ちはあったのですが、

 神社庁発行の小冊子の巻頭を飾っていたり、また著書の中でも神様と食事の関係について書かれていたので、さらにその気持ちに拍車がかかっていました。

 

 1番印象に残ったのは、 

 「なぜ箸を横に置くのか?」

 中国や韓国では、箸を縦に置くのだそうです。

 

 お膳の上にあるものは、清らかなもの。

 自分と清らかなものの境界として、箸が存在するそう。

 また、ごまやしょうがなどの天盛りも清らかなもの、神様からのもの、ということを表わすそうです。

 

 そしてもうひとつ。

「お造り」という言葉。

これは決して、「お作り」とは書きません。

人間業ではない、創造の「造」を使う、と。

 ここにも、神様の存在が感じられます。

 

 そもそも食物が「天からの恵み」であり。

 また、神様にお供えをし、それらをお下がりとしていただく、「神人共食」という文化もあります。

 

 神と人は、食でも繋がっている。

 

 それを身近に思い出させてくれるのが、「いただきます」という挨拶なのかもしれません。

 

f:id:akamitori0616:20180913062220j:image

 

 

 

 

 

瀧原宮・瀧原竝宮(三重)

f:id:akamitori0616:20180915213841j:image
f:id:akamitori0616:20180915213848j:image

 

 さまざまな方のお力添えをいただいて、今年も参拝できた瀧原宮瀧原竝宮

 伊勢市内にある外宮・内宮からは少し離れた、度会郡に位置しています。

 

 両宮とも御祭神を「天照坐皇大御神御魂」としていますが、

 皇大神宮荒祭宮の関係と同様に、

 瀧原宮が和御魂、

 瀧原竝宮が荒御魂をお祀りしています。

 

瀧原宮

f:id:akamitori0616:20180915213843j:image

 

瀧原竝宮

f:id:akamitori0616:20180915213846j:image

 

長由介神社
f:id:akamitori0616:20180915213851j:image

 

 静寂。

 そして曇り空の中、時折射す、あまりにも美しい光。

 

 みなさまの前途をも照らす光となりますように。

 

 今日の佳き日に。