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祈り、道標となるもの

「わかる」のこと

 わかる、と入力してみると、
分かる、解る、判る…といくつか候補が出てきます。

 少し調べてみると、どんな状況の「わかる」においても使えるのが、「分かる」であるとのこと。

 

 その「わかる」が「分かる」であることを、よくよく伝えてくれるのが以下の文章です。


「分別してはいけないということが空なのです。空とは、『分別するな』『分かち別つな』ということです。分別を捨てろということです。ところが"空がわかりたい""密教がわかりたい"ということは、"分ける"ということです。あらゆる他のものと分けてしまうから、わかるわけです。だから本来分けてはいけない空をわかりたいというのは矛盾なのです」
(松永有慶著 『理趣経』)

 

……読めば読むほど、溜め息が出そうになりますね。


 とは言え、少なくとも、わかるが「分かる」であるということを、改めて教えてくれた例でした。

 

 言葉それ自体が、名付けることによって「分ける」性質を持っていますから、
よく「空」を、空という言葉として「抽出」できたな、という思いもあります。

 

 わからないものには名を付けられない。

 逆に、名を付けられるものは、少しでも何かが「分かって」いる。

 

 名を付けることについても、いつか書きたいですね。

 

 分けられないものを「わける」旅は、続きます。

 

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(宝山寺奥の院にて)