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祈り、道標となるもの

「人」と「行為」を分離するということ

 書こう書こうと思って2ヶ月ほど経ってしまいましたが、

 7月に「天から見れば」という映画を観ました。

 

映画「1/4の奇跡」「光彩の奇跡」の監督入江富美子の第3作目ドキュメンタリー。

少年時代に事故で両手を失うという絶望の中から立ち上がり、画家として活躍する南正文さんに出会い、そしてその師匠である大石順教尼の著書「無手の法悦(しあわせ)」を読み、心をわしづかみにされた入江監督は、映画制作を決意。3年の歳月をかけて、映画「天から見れば」を誕生させました。南さんへのインタビューや再現ドラマをもとに、南さん、順教尼の生き様から、その奥に流れる大きな力を描き出した渾身の作品です。

 

http://tenkaramireba.com/introduction/

 

 順教尼の人生についても、映画では描かれているのですが、

 

堀江のお茶屋(貸座敷)「山梅楼」(やまうめろう)の芸妓になり「妻吉」と名乗り、その主人である中川萬次郎の養女となる。そこで舞を精進していたが、1905年(明治38年)、養父の萬次郎が内縁の妻に対する邪推から楼内で刀を振るい、6人を殺傷。世に言う「堀江六人斬り事件」である。

事件に巻き込まれた妻吉は両腕を切断されながらも、一命をとり止めた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/大石順教

 

 このことについて、順教尼は「おとうさんの苦しみがそうさせた」、

 そして南さんも、中川萬次郎について「そういう『役割』だった」と、映画の中で話しておられました。

 

「人」と「行為」の分離。

 これほど人生に大きく影響を及ぼした事柄についてそのように了解することは、決して決して、容易なことではありません。

 

 しかし、わたしたちの日々の生活においても、考え方のヒントになるのではないか、と思います。

 

 憎むこと、赦すことばかりではなく、

 誰かを叱る時。

 誰かを褒める時。

 

 「何かをしたこと」、それは叱られたり褒められたりすることかもしれない、

 けれども、そのひと自身の本来の価値は、それらのことでは揺らがないのです。

 

 特に褒める時こそ忘れがちかもしれませんが、

 「何かをしたから」えらい、すごいのではなく、

 そのひとがそのひとであることが尊いということをきちんと覚えておきたいなと、思うのです。

 

 

 

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