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祈り、道標となるもの

侍多千億仏

観世音菩薩は、幾千億ものブッダたちに見(まみ)え侍(つか)えて、その悲願を浄化してきたと観音経が説く時、その幾千億ものブッダたちというのは、じつはここにこうして生きてきた幾千億兆の生命たちのことなのであり、その生命の本来の輝きと喜びを大切にする(侍える)ことによってこそ、観世音菩薩はその本性を浄化してきたのである。

山尾三省著 『観音経の森を歩く』

 

 再び『観音経の森を歩く』のページを開けたところで、夏休み子ども科学電話相談も再開。

 引用した文章に差しかかった時に、あのラジオを通して「生命の本来の輝きと喜びを大切にする」姿を見せていただいているのかな、という気がした。

 

 ちいさいおともだちたち、が自然を見るまなざし。

 そのちいさいおともだちたち、を見守るおおきいおともだちたち、のまなざし。

 

 あたたかいまなざしの先にあるものこそが、「幾千億ものブッダ」なのではないかと。

 

 観音経の文脈であるから「ブッダ」とされた表現は、きっと「神」に置き換えることも可能で、

 もし、もっと日常的な文脈に置くとしたら、「先生」であったり、「仲間」といった言い方もできるのかもしれない。

 

 「(どうやら無茶なやり方で遊んでいたために)足が取れたカブトムシ」が、

 「7枚レンズを重ねて見ようとした星」が、あのおともだちたちに教えたことは、スタジオの先生方の言葉と共に、きっと長く心に残るだろうから。

 

 侍多千億仏。

 著者は、人間のうちに「観音性(愛、慈悲、慈愛、同悲同苦)」というものを見、それこそが観音菩薩であると説いていた。

 

 わたしたちは、千億の仏と生きている。

 

 

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