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祈り、道標となるもの

新しいふるさと

 再び、山尾三省著『観音経の森を歩く』より。

 この本のタイトルにもなっている、いわゆる「観音経」、これは正確には「観世音菩薩普門品第二十五」という。

 かんぜおんぼさつふもんぼんだいにじゅうご、
 この、「ぼん」=「ほん」について言及された箇所。

 

「品」をヒンと読まずホンと読むのは、中国史における三国時代(三世紀)に興った呉の国の読み方だそうで、そうすると私たちは、経典の章立てを「品(ほん)」と読むことによって、われ知らずの内に今は跡形もなく消え去ったその古代の国の音韻を継承していることになる。呉の時代の言霊、あるいは音霊が、「品」という呼び方において私たちにまで伝えられてきたのである。

 

 ウィキペディアを見ると、
「呉音は仏教用語律令用語でよく使われ、漢音導入後も駆逐されず、現在にいたるまで漢音と併用して使われている」とのこと。

 日本語はカタカナによって、外国の言葉を「そのまま」取り入れることもよくある、のだとしたら、

 実は呉以外の、今はない国の言葉たちが、日本語の中で密かに呼吸し続けているのでは、と思わずにはいられない(名乗りを上げないから気づかないだけで、呼吸音は実は大きいのだろう)。

 帰る場所はなくなってしまったけれども、新しい土地にきちんと根を生やしたことばたち。

 

 日本語はきちんと、「新しいふるさと」になれただろうか。

 

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